FC2ブログ

神様や自然の事、これまでの神業のこと
気づきに終わりはありません。

宇宙を学ぶたびに、まるで試されるかのように
神様はあなたを動かすでしょう・・・
天神の御教言を心に玉串として夕暮れより
日の出づる頃まで天津詔戸乃太詔刀を
唱えて祈らば天上の八井の水がでる兆となる

いつの世も待つのは女、一途な織姫そして珍敷塚古墳の埋葬者が判明した


天の川 浮津の波音 


騒くなり 我が待つ君し 



船出すらしも。





メルヘンですね・・・

おっさんの私の胸もキュンとします。


万葉集作者は山上憶良。

この人は皇極天皇・斎明天皇(女帝)に仕えていた重臣です。


織姫と彦星の叶わぬ愛を知っていたのでしょうか・・・

IMG_1630.jpg 

天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 船出すらしも。

意味は

天の川 うきつふなつきば 波音が 騒がしい 
わたしが待っている あの人が舟を漕ぎ出した


これは織姫が自分のために彦星が舟を漕いできている・・・という姫の心情です。


彦という名がつく男性は中大兄皇子、母は斎明天皇(神功皇后)

皇子は後の天智天皇。


これからのお話は○○市文化財調査委員の発掘調査の時の話で

知りえた情報と私的霊感です。

歴史と同じではありません・・・ただ○○庁が発掘物没収、調査結果を受け付けないと

いう事実があるようですが、聞いただけで定かではありません。

基本、私は人のいうこと信じない。
自分で研究して納得してを優先にしているが

山上憶良がでてきた時点で、ほぼ間違いない・・・・。



舟を漕いだ天の浮津は筑後川、津は港(舟が出る所)


IMG_1632.jpg 

その場所は当時、蘇我入鹿を滅ぼし中臣鎌足と共に

帝の継承を思案中でまだ母である斎明天皇が在位していた

それは中大兄皇子の若かりし時代

現代にも残る七夕伝説は中国から来た説が強い。

しかし当時は今の中国、朝鮮半島の百済と交易をしています。

リンクするように、うきは市、久留米市はアジア人が多いです・・・


七夕伝説は政治的な関係で愛仲良くなった織姫、彦星は許された愛では

なかったんだろうと思います。

筑後川は雨が多く降ると増水して舟はだせません・・・

また中大兄皇子は皇子なので、そうたやすく姫には会いにいけません。

また敵対するやもしれない国の姫とは交際できません。

でも若い男と女なんですね・・・

051802.jpg 

この図は、うきは市の私の家の近くにある珍敷塚古墳図です。
年2回(春と秋)の開放期間か予約いれないと見れません。


(そして埋葬者は現在でも不明のままです。)


そして古代中国で月を表す図文がたくさん描かれています・・・

鳥の図でカラスが描かれています。

このカラスはヤタガラス

御付の人のことです。

大勢でいくと目立つので一人の家来を連れて行ったのでしょう・・・。


舟を漕ぐ人は、中大兄皇子です



図を遠近法で見るとビルみたいな図はこちら側(手前)


舟を漕ぐひとはビルの奥川で、花火みたいなのは船より奥側



つまり、うきは耳納山(南)です。

じゃぁ北側のビルは・・・・

朝倉です。恵蘇八幡


南側に皇子の住む都もしくは居住地があったと考えられます


うきは吉井町に若宮神社があり


日の古墳と月ノ古墳があります。


珍敷塚古墳も両古墳も6世紀に描かれたものとされています・・・



6世紀といえば山上憶良が


天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 船出すらしも。


の和歌を歌った時代です。


一つ一つ糸が繋がれてるような気がしました。

中大兄皇子はこれから歴史とともに動きます

しかし古墳は死者を埋葬する場所・・・


埋葬者は織姫です。


私が皇子ならば、愛した人をそばで弔いたい・・・

これは古代も現代も変わらないと思います。

文化財研究員の話によると女帝である斎明天皇の息子である皇子と

織姫は腹違い異兄弟だったのではないかという調査結果があると聞きました。


埋葬者は織姫というメルヘンだけ残したいです。

彦星(皇子)の気持ちがわかるような気がします。




さて若かりし皇子は筑後川を舟で

西に向かっています・・・七夕神社(姫社神社)通称:織姫神社

現在の小郡市です。

IMG_1633.jpg 


着いた時は雨が降っていました。

IMG_1636.jpg 

お二人に敬意を示し祝詞を奏上いたしました

神社神前祝詞です。


かけまくも かしこき 姫社神社に坐せ奉る姫神様、御前に・・・・と^^


となりに記帳場所があったので夫婦連名で

IMG_1635.jpg 

神代文字を使って祝いの言葉を奉納しました・・・


竹が置いてありそれに結んで


写真をとったら


こんなのが写りました・・・


IMG_1634.jpg 

何だろう?・・・シャッターがずれたのかなと思ったら


急に雨が止み、神社のところだけ


IMG_1640.jpg 

その太陽を見た時・・・


ひさかたの おみへに うれし あひねたまふ うれしき


と聴こえてきました


なんだー?という気持ちより


複雑な気持ちになりました^^


前々から知っていたんだけど初めてきたのに・・・

宗像大社の織姫神社は行ったことはあるけど


まぁいいや、歓迎されてるんやろう


でも私の中では何となくわかります。


もう時代が違うから、これ以上は探索はヤボかなと思いました。


IMG_1641.jpg 

小さなお宮ですが、とっても女性らしさな優しい神社です。


ここは織り比売(幡を織る女子たち)手に職を持ってる方は


特に占いや、カウンセラー、先生、医者、学問関係に

従事されてる方に御神徳があります。

摂社に菅原神がいらっしゃいます。

IMG_1639.jpg 

やっぱり梅紋はすばらしい


この神社敷地自体が気品がある優しい所でした。


 

このあと、中大兄皇子は母を亡くし苦難の道を歩みます





中臣鎌足の協力を受けながら、やがて天智天皇として在位します。

しばらく朝倉に朝廷がありましたが


奈良に謀反の動きありで母の骨を恵蘇八幡奥宮に奉納し
歴史では奈良に持ち帰ったとされていますが・・・・・。


忙しい毎日で織姫は連れていけなかったのでしょう・・・


そして時代とともに伝説だけのこり珍敷塚古墳の埋葬者も


闇の中で消えたかもしれませんが


織姫の声は天から聞こえました


静かに平安で暮らしてることだと願います。






天智天皇はこのあと、弟(異兄弟)大海皇子の計略と


百済の重臣が中国側についたのが最大の原因で



白村江の戦いにて倭国は壊滅状態に落ち込みます。


そしてこの時代にたくさんの王族が倭国に逃げてきたのです。


ここから倭国のこれまでの歴史が変り現代まで繋がります


神功皇后、天智天皇、鎌足の功績は闇に葬られます。


鎌足が神示で受取った大祓詞に秘密がかくされています。


この秘密を少し人々に知ろしめしたのが


此の国言霊給ふ国の万葉集の和歌を書いたのが

山上憶良です。


この人の和歌集はすばらしいです。


感覚が今の若い人ににています・・・




















 




コメント

名前

件名

メールアドレス

URL

コメント



管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

こうじろう

Author:こうじろう
はじめまして。こうじろうと申します。
福岡はうきは市の山裾で
自宅を日月ノ宮とし斎主として
奉じています。
普段の神様のことを自由に
書いています。
皆様の何かのヒントになれば
幸いです。

神様から教えてもらった

スポンサーリンク
カテゴリ
ポチっとで幸せ♪
検索フォーム
至高の世界
常なき道は神の中、歩むは人の道
神様に誘われた山の暮らし
霊気玄霊視法ご案内
RSSリンクの表示
レンタルサーバーなら
Wordpressが無料で出来る
ブロとも申請フォーム
月別アーカイブ
QRコード
QR

ページの先頭へ

■アクセス解析タグ